高速戦艦比叡が砲術学校の練習艦として配属されていて、砲術の実技訓練はこの戦艦の上で実施された。戦艦の主砲の一斉射撃というものが、いかに豪快なものであるかを猪村はここで初めて経験した。その後の海軍生活でも何回か戦艦主砲の一斉射撃を見学し、その都度、自分の心の中の卑小さが一挙に吹飛ばされる爽快感を味わったものだ。猪村のような臆病な男には、最初の弾丸が発射されるまでは怖くてたまらず、そろそろ弾丸が飛び出す頃だから臍の下に力を入れておかぬと、発砲の衝撃のために身体全体が海の中に吹き飛ばされてしまうぞと思いながら、ふんばる足に力がはいらぬという情けないていたらくだった。
昭和十年の秋、軍艦扶桑の公試運転に立会員として乗艦し、土佐沖での主砲の一斉射撃を見ていた猪村の軍帽は爆風であごひもが切れて、あっと言う間に太平洋の波間に吹き飛ばされていた。弾着の水柱を見るためにマストのてっぺんに近い所で身体を乗り出していたからだが、そのときの爆風はまともに顔に当たり、頬に感じた衝撃は平手のビンタを食った程度であった。四万トンの戦艦自体がこなごなになって飛び散るかと思わせる衝撃を残して弾丸が飛出してゆき、腹の底からゆすり上げられる気がして、ふと気がついてみると、自分の身体は吹き飛ばされないで、もとの場所に立っていることが分かり、こわいという感じはいつの間にか消えうせて、爽快感だけが残り、すぐ後から発射される次の弾丸を待っている自分に気が付くのである。