学校に入ると、引率者の造兵大佐は、この学校での技術士官講習員の指導者である安達少佐にこの世話のやける連中を引き渡して帰っていった。安達少佐は連中を連れて学校内の挨拶回りを済ませた後、連中を学生舎に連れていった。
いつもの年だと、高等科学生である海軍大尉や普通科学生である海軍少尉が沢山いて、学生舎は相当窮屈なのだが、その年はどうした巡り合わせか、こういう学生達がいなくて、40人用の学生舎を一棟13人の技術士科士官だけで使うことになっていた。
海軍士官の軍服を専門に作る洋服屋が東京に4、5軒あり、かねてこの連中の各種の軍服や軍帽を新調してあったが、連中が今日の挨拶回りに着ている通常礼装を除く全ての軍服類をこの学生舎に持ってきて待っていた。 世話のやける連中に対する安達少佐の最初の志度は、この洋服屋どもを助手に使って連中に軍服の着方を教えることであった。軍服と言っても、正装、礼装、通常礼装、第一種軍装、第二種軍装と色々区別があり、こと細かに教えておかぬと、とんでもない失敗をしでかすおそれがある。二週間後には天長節(天皇誕生日)の祝典があり、この連中も正装を着用して列席するが、正装用の帽子をさかさまにかぶったり、エポレットを左右逆に装着したまま平気で出歩きかねないのである。