安全第一だからな。決して無理させるなよ
作業の重要な部分は運搬工によって行われる。
運搬工は工廠の造兵部ではなくて総務部に属して いる。陸上運搬、海上運搬のほか大工、左官、鳶職などの専門職種の熟練工の集団である。現場監督は無線専門の高等官で、運搬作業の知識は皆無であるが、作業員に任せておけば大過なく作業を完了することができる。
現場監督として出張する造兵大尉や造兵中尉に猪村が与えた注意は、
「安全第一だからな。決して無理させるなよ」
ということだけで、猪村自身、彼等同様こういう工事の現場監督としては全くの無能力者である。
その運搬工連中が、無線工場の浜村工手に、
「沖の島の工事の現場監督には猪村部員ご自身で出張して貰いたいのだが」
という希望の申し出があったらしい。その理由は、沖の島には荒天の時に避難する避難港が近くにないので、早めに決定しなければならぬ場合が発生するかも知れず、そういう場合は経験豊富な方に決定して貰う必要があるということだそうである。
「冗談じゃないよ。おれに何の経験があるんだ」と猪村は浜村工手の話に大笑いしたが、ふと、彼等運搬工が何か縁起をかついでいるのだと思って連中の申し出に従うことにした。
沖の島には有名な神社があってそこに祭られている神様は女神である。島へ上がるときはその団体の代表者が水垢離を取って上がる習慣になっている。ここの現場監督に最初に予定されていた造兵中尉は少しエスどもにもてすぎる。俗世の女にもてすぎることに対して女神がやきもちをやいて、海が荒れてはならぬ。
その点、猪村なら安心である。女にもてたという話を聞いたことがない。猪村は現地調査のとき、水垢離をとってこの島に上がったが、その前後はまことに好天に恵まれていた。
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