美しい町を作るのが文明である
昭和十三年の四月、猪村は山東省の青島(チンタオ)に出張した。
ここは日清戦争の後の三国干渉でドイツの租借地となり、第一次世界大戦の結果ドイツの権利を引き継いだ日本の租借地となって、日本人居留民が沢山いた所である。
支那事変の勃発後も現地の中国要人との交渉で戦火の波及は阻止されていて、日本の海軍陸戦隊が平和裡に進駐した。猪村の任務はここに海軍の無線電信所を作る仕事である。
無血占預だったので町は破壊されてない。猪村はこの町の美しいのに感心した。丁度、桜の花盛りで青い海と淡紅の桜の花の組合わせがなんとも言えぬ美しさだった。
猪村がその当時住んでいた佐世保には海も桜もあったが、なんだか街の中がほこりっぽかった。それでも、東京よりは佐世保 の方が遙かに美しい。その佐世保より青島の方が格段に美しい。将来長く住むなら青島のような町がいいなあと猪村は思った。
こういう美しい町を作ったのは最初はドイツ人だろうが、ここの桜の樹齢から見ると、日本人もこの町を美しくするのに相当な貢献をしたであろう。治安が良いので、金持ちの中国人もここに移り住んでこの町を美しくしたであろう。美しい町を作るのが文明であると猪村は思った。
青島の次はサンチャオ島へ出張した。サンチャオ島は中国広東省の南、珠江の作るデルタ地帯と海との間にあり、日本の海軍はビルマから中国への補給路を攻撃するためこの島に飛行場を作っており、滑走路の完成と同時に無線電信所を完成させるのが猪村の仕事であった。
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