満州国へ出張
仕事のほうは結構忙しかった。昭和十二年の二月には駐満海軍部の無線電信所を建設する仕事と旅順要港部の無線電信所を改造する仕事が重なって猪村は満州国へ出張した。見習工員養成所出身の浜村工手が全体の仕事の監督をやっていて、猪村はただのお飾りである。
輸送中の機材がどこかの駅で積み替え順を待たされているようなとき、その輸送の促進方を満鉄(南満州鉄道)とその背後に控えている日本陸軍に交渉する位が猪村の仕事である。こういう交渉には兵隊の位の上の者の方が都合がよい。
「世の中って随分無駄なことをするもんだな。浜村工手を海軍士官に任官して、彼に全部やらせれば、俺はもっと俺に適した別の仕事ができるのに。浜村に軍服を着せて陸軍さんとの交渉をやらせ れば、彼の押し出しから大佐位には通用するんだが。しょぼしょぼした俺がはるばる満州くんだりまでやってきてなんでこんなつまらん仕事をするんだ」と猪村は嘆いた。
「俺も余り役に立っていないが、駐満海軍部なんて、本当はする仕事が何にも無い筈だが、こんなものをつくるのは帝国海軍の堕落だよな」と猪村はひそかに思っていた。
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