上海2

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研究問題は研究所でやるべきものだという先入観

猪村は佐世保勤務になったことを不服に思ったが、佐世保に来てみると仕事は結構面白かった。そして、後から反省してみると、猪村が技術研究所でやろうと計画していた研究問題はすべて佐世保工廠でも十分にできる仕事であった。

それが出来なかったのは猪村がやろうとしなかったからであり、猪村に十分な能力がなかったからである。

佐世保の造兵部にはその頃まだ無線工場はなくて、無線部門は他の電気関係の部門と一緒に電気工場に属していた。電気工場主任の中林造兵中佐は沢宮大人と同期の中佐で大学は京都大学の電気工学科の出身である。沢宮大人と違って事細かく具体的な指導をしてくれた。

お役所風の起案文書の書き方などは中林さんのような親切な指導がなければ中々上手に書けるようになるものではない。猪村は中林さんの懇切な指導に感謝している。 無線に関する仕事については中林さんはすべて猪村に任せきりであった。

その無線に関する仕事の大部分は佐世保工廠見習工員養成所出身の工員グループに任せておくことが出来て、猪村がやらねばならぬ仕事は割合少なかった。しかもその工員グループは猪村のやろうとする仕事なら何でも喜んで協力しようという気持ちを持っていた。前任者の教育がよくゆきとどいていたと感心する。



従って猪村が何か研究問題に取りかかるには一番好適な環境だった。然し、猪村は研究問題は研究所でやるべきものだという先入観のとりこになってこの恵まれた環境をうかうか見逃して青春の貴重な時間を無為に過ごした。

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