この日天気清朗なれども浪高し
軍用通信学について猪村はあまり深く考えたことはない。ただ、今でも不思議に思っている電報に日本海海戦当時の有名な電報がある。
「敵艦見ゆとの警報に接し聯合艦隊は勇躍出動敵を撃滅せんとす。この日天気清朗なれども浪高し」
という名文であるが、軍用の電報としてこんな情報量の少ない電報があるだろうか、こんな電報が本当に聯合艦隊から軍令部宛に送られたのであろうかと疑問に思っている。
何時に、何処へ向けて出航し、何ノットの速度で航行するという位の情報は最低限必要だと思う。
「敵艦見ゆとの警報に接し」というが、敵艦見ゆとの警報があったことは先刻軍令部へは報告済の筈だから、ただ「出航する」と言えば「敵艦見ゆとの警報に接し」ての出撃であることは言わずと知れたことであり、この文句は冗長である。いわんや「勇躍」とか「敵を撃滅せんとす」などは言わずもがなの文句である。聯合艦隊が会敵を期して出撃するからには「勇躍出動」しなかったり、「敵を撃滅」しようとする気概がなかったりしたのでは、戦争に勝てる筈はないのだが、そんな文句を軍用通信文の中に入れる必要はないと思う。
「この日天気晴朗なれども浪高し」という気象状況はどの地点の何時の気象状況であるか分からない限り、何の情報にもなるまいと思う。敵艦隊に会合する地点はまだ決まってないのだから戦場の気象状況を報告した訳でもあるまい。
ただ一つ、この電報の用途として次のような情景を想像することが出来る。軍令部の情報部長のような役の参謀将校が記者会見をする。
「唯今、聯合艦隊から入電がありました。読み上げます。本文、敵艦見ゆとの警報に接し、聯合艦 隊は勇躍出動、敵を撃滅せんとす。この日天気清朗なれども浪高し、終わり」 新聞記者の間からは期せずして万歳、万歳の声が起こる。電文そのままの文句が新聞の見出しに なって国民の戦意を昂揚する。国民の戦意を揚することは重要な仕事である。然し、これは軍用通信の役目ではない。軍用通信はそんな仕事をする前に本来の役目を遂行するために克服しなければならぬ幾多の苛酷な条件があると思うのだが。
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