短波を送信すると必ず傍受されることを覚悟しなければならぬ
猪村は自分が忙しいのが得意であった。然し、方々からお座敷が掛かってきたが、最初の戦艦の方位測定機のように直接役にたつ仕事をしたことは余り多くない。大抵の場合は、通信科の下士官の質問に答えて説明してやり、彼等の向学心を満足させてやっただけである。ただ、こうして下士 官達と話をしていると彼等が何で困っているかが良く分かった。
彼等が困っていた問題の一つに同時送受信の問題があった。通信量の少ない軍艦では、自艦が受信しているときに同時に送信するという機会はないが、旗艦になって、司令部の連中が乗っているような軍艦では、通信量が多くて、自艦が受信しているときに同時に送信しなければならない。
狭い軍艦で、送信アンテナと受信アンテナとの間の距離はごく小さい。送信アンテナを出た強力な電波がそのままもろに受信アンテナを経て受信機に入って来る。受信している周波数と送信する周波数は違っているので、受信機の選択性によって送信周波数を除去するようにはなっているが、すぐ近くで強力な送信をされると、受信機の選択性などで除去できるものではない。陸上の電信所ではこの問題を解決するために送信所を遠くに離れた地点に設置していた。
東京海軍通信隊の送信所は千葉県の船橋にあった。東京船橋間の距離位離しておけば同時送受信は問題ないが、船橋にある送信機を東京から遠隔操作するための管制線の長さが長くなり、設備コストが大きくなる。短波の通信をする場合には送信アンテナと受信アンテナとを千メートルも離しておけばなんとか同時送受信が可能になる。然し、千メートルという距離は一つの軍艦では実現できない。
最初、猪村はこの問題を解決してやろうと思った。そして、何日かかかって一つの構想をまとめてみた。それは受信担当艦と送信担当艦とを分離するという構想である。まずやたらに短波を使うのをやめて超短波を使うようにしなければならぬ。超短波は短波よりもさらに波長の短い電波で、今はテレビやFMラジオに使われているが、波長が短いために上空のイオン化層で反射されずこれを突き抜けてゆくので、送信アンテナから受信アンテナが見える範囲内でしか通信できない。従って短波のように遠くで傍受される危険はない。
短波を送信すると必ず傍受されることを覚悟しなければならぬし、短波無線方位測定機によって送信した軍艦の位置が敵に知れることを覚悟しなければならぬ。無線封止といって状況をやむを得ない場合以外は短波の送信を行わないように定められている。無線封止の状況下でも超短波は安心して使用することが出来る。そして超短波の送信で短波の受信が邪魔されないようにすることができる