最初の失敗1

最初の失敗

音楽に関する特別な訓練が水中聴音員に対して施されていた

その頃潜水艦に新型の水中聴音機を装備する工事が始まって、猪村と猪村の部下の上南技手および関係の工員二名がその講習を受けるために呉から東京へ出張した。各工廠から集められた関係者十数名に対し、海軍技術研究所の久多造兵少佐が三日間にわたり丁寧な説明をして実際の取り扱いをやらせてみせた。実際の取り扱いといっても研究所には潜水艦はないので、十六個の捕音器は海底に沈設する場合に使用する吊鐘型の架台に装備し研究所の実験池で水中マイクロホンから出す音に対して方向測定をしてみるのである。

旧型の水中聴音機では潜水艦の甲板の上に三個の捕音器を配列した。潜水艦が潜没した状態でその捕音器に到来する音の時間遅れをステレオの原理で測定する。三個の捕音器の内いずれか二個の捕音器の組み合わせを選び、この二個の捕音器のうちの一方の捕音器からの出力を右の耳に入れ、他方の捕音器からの出力を左の耳に入れ、音が真正面から聞こえてくるような感じになるまで二個の捕音器から左右の耳までの音に対する時間遅れを調整する。



時間遅れの調整には捕音器と耳との間にガラスチューブを入れ、ガラスチューブの内管と外管との間をスライドしてガラスチューブの長さを変え、ガラスチューブの中の空気層を音が伝わる時間を変化させた。二個の捕音器に対する音源の方向に従ってその二個の捕音器に到来する音の相対的な時間遅れが決まるので、早く音が到達した方の捕音器からの音をガラスチューブで遅らせて左右の耳に入る音には相対的な時間遅れがないようにしてやれば真正面から音が聞こえてくるような感じになる。

兵隊さんが整相器という箱のハンドルを回すとガラスチューブの内管と外管との間がスライドしてガラスチューブの長さが変わり、三台の捕音器の内のどの二台を選ぶかという切り換えも整相器が自動的に行って、兵隊さんはただ音が自分の真正面から来るように感じる点だけを見つけだせば、そのときの整相器の目盛りが潜水艦に対する音の方向を示すようになっていた。

然し、音が自分の真正面から聞こえてくる点を正確に見つけだすには、耳の感覚が良くてしかも両耳の感度が揃っていなければならない。こういう耳のいい兵隊さんを選んで水中聴音員にしていた。また、音楽に関する特別な訓練が水中聴音員に対して施されていた。

海軍には軍楽隊という音楽の専門部門があり、軍楽隊員に要求される耳の性能と水中聴音員に要求される耳の性能とは共通点もあったが、違った点も多く、水中聴音員は軍楽隊で音楽の基本教育を受けた後、海軍部外から雇われた専門の先生によって訓練されていた。スクリューの音を聞いただけで、あれは戦艦長門であるとはっきり言い当てることを要求された。同じ型の戦艦でも陸奥のスクリュー音と長門のスクリュー音とではどこか違うのだそうである。

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