海軍工廠6

海軍工廠

造兵という名称は兵器の製造技術という意味

ことのついでに日本海軍における造兵関係の技術者の補充方法についてお話しておく。造兵という名称は兵器の製造技術という意味であるが、軍艦を造る技術を造船と言い軍艦のエンジンを造る技術を造機といっていたが、その他の物を造る技術をひっくるめて造兵と言っていた。大学の工学部や理学部から海軍造兵学生を募集して卒業すると海軍造兵中尉に任官する猪村のようなコースに対し、高等工業学校(旧制)の生徒から海軍造兵生徒を募集して卒業後海軍技師とする文官コースがあった。もっとも海軍の規則を見ると、造兵生徒は、卒業後海軍造兵少尉候補生を経て海軍造兵少尉に任官することになっているのだが、

さる有名な高等工業の校長さんはこの制度が気に入らず、

「学校を卒業したばかりの若者が短剣をつって海軍士官だなんて威張っていたのでは、将来立派な技術者にはなれない。技術者として立派な仕事をするに学校を卒業してから何年間かは織工さんと一緒に現場の仕事をしなければ駄目だ」



と言ったので、海軍では規則はそのままにしておいて、造兵生徒の出身者は工員からスタートして海軍技手、海軍技師の文官コースをとることにしたのだそうである。もっと工員からスタートすると言っても、工員の最高の階級の工手からスタートし、海軍技手、海軍技師への任官も大学卒業生に対しことさら不利になることのないように配慮されていた。海軍の接術部門では武官と文官との差は少しもなかったように思う。海軍技術研究所では猪村の主任だった沼谷技師は海軍造兵生徒の出身である。

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