呉海軍工廠電気部部員に補す
そんなある日突然「呉海軍工廠電気部部員に補す」という辞令を貰って、猪村は呉へ転勤することになり、一年半の予定であった技術研究所での実務実習は半年で終わる結果になった。呉工廠から艦政本部へ転勤する橋口少佐の後任として技術研究所から転勤する予定であった近江技師が肺結核のため休職となったので、やむを得ず実習中の猪村を引っ張り出したのだそうである。猪村は後一年で第二回の乗艦実習が始まるのであるが、一年間だけ急場がしのげれば後はなんとかなるだろうという人事計画である。この転勤は海軍でのその後の猪村のコースを大きく変える結果となった。戦前は肺結核という病気が流行して猪村の周辺でも多くの有為な青年が肺結核で倒れた。猪村は幸い肺結核には見舞われなかったが、肺結核という病気のために猪村の人生コースがある程度影響を受けている。「呉工廠へ着任して各部へ挨拶回りをしたとき、砲こう部の寺中造兵大尉が猪村の名刺を眺めながら
「なんだ、君は中尉のくせにもう部員じゃないか。生意気だね、俺なんか大尉の三年目なのにまだチンズキだからなあ」
チンズキという言葉は初めて聞く言葉だったので猪村は質問した。
「チンズキってどういう字を書くんですか」
越後の国から出てお餅の賃づきをする出稼ぎ労働者にたとえて言うのかと思っていると、相手は 自分の名刺を出して、
「チンズキってチンズキだよ、ねえ」と言った。名刺の肩書きには「呉鎮守府付」と書いてあった。
「なんだ、面白くもない鎮守府付を略したチンズキか」と猪村はがっかりした。