送信用給電線の整合器の開発
その頃の第二研究科の主要な仕事は水晶制御の短波送信機の改良と、送信用給電線の整合器の開発という仕事だった。猪村は整合器の開発の方の仕事を手伝うことにした。その頃大きな軍艦には下部電器室が設けられることになった。競艦の砲弾や敵の航空機の爆弾で無線通信機が破壊されるのを防止するため、軍艦の防禦鋼板よりも下部に無線通信機の一部を入れ、この下部電信室の送信機からの電波を軍艦のマスト張られたアンテナから効率よく反射させるため、アンテナの根元の部分に整合器を取り付け、送信機から整合器までは給電線で電波を送るわけである。
送信電波の周波数を時々変更するので、その都度合器の調整をやり直さねばならぬ。下部電信室の中にいる兵隊さんが遠隔制御で整合器の調整が出来るような構造にするのであるが、この程度の物の遠隔制御は当時の技術でも訳なく出来た。問題は何を目安に調整するかということである。アンテナの根元には電流計が挿入されていて、その電流計の指度が下部電信室まで送られ、兵隊さんはその指度を見ながら整合器の可動部分を動かすのだが、電流の最大点を求めるには二箇所の調整部分の全部の組み合わせをやって見ないと決定できない。その上厄介なことには短波のアンテナに関しては電流最大点が放射電力最大点とは一致しない場合がある。
「アンテナや給電線の理論を少しも知らない兵隊さんでも、整合器の調整が楽々できる方法を考えてやろうと猪村は決心した。朝出勤して来ると猪村は主任室で作業服に着替えてすぐ給電線の実験場へ出向いて行き、測定データの整理をしたり、理論式を考えたりしているのであるが、午後五時の定時間が過ぎてが主任室に帰って見ると、沼谷技師が四、五人の実験助手を集めて製造図面の検討会を開いていることが多かった。この第二研究科という所は研究所というより設計科に近い仕事をしていて、試作送信機に関する最終段階の製造図面は第二研究科の内部で書いていた。