一等船客と呼ばれる
おかげで、猪村達は乗艦実習を二回やることになった。最初の予定では一年八ヵ月の一般実習の最後の六ヵ月、すなわち昭和九年の後半が乗艦実習、其の後の一年がOJTで、それはその通り実 行されたが、OJTがもう六カ月延長され、その後の六ヵ月、すなわち昭和十一年の後半が再度の乗艦実習になった。
聯合艦隊の訓練は毎年、年の前半が基礎訓練、後半が応用訓練で、艦隊の演習のような行事は応用訓練の中に入るので、技術科士官はこの応用訓練の時期に乗艦させておこうという考えである。 猪村が技術研究所での一般実習を終わる時点では、猪村の同期の他の技術科士官達もそれぞれ各自の専門の部門での一般実習を終わり、「聯合艦隊司令部付き仰せ付けらる」という辞令が出て乗艦実習に入る。六週間に一回位の割合で「乗艦を……に指定す……」という聯合艦隊司令長官命令が出て、軍艦から軍艦へ転勤させられるが、どの軍艦へ行っても別に仕事がある訳でもなく、実習 報告を提出しろと言われている訳でもなく、もっぱら自分の興味に従って行動すればよいと言う結構な御身分である。多忙な仕事を持っている他の士官がうらやましがって付けた呼名では一等船客と呼ばれる。
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