大尉進級が一年早すぎるという計算
猪村達、昭和八年中尉任官の技術科士官は一年八ヵ月が一般実習、その後の一年が応用実習に予定されていた。応用実習とは実際の配置について、ある程度の責任を持ってその仕事に関しての指導を受けるコースである。今の言葉で言えばOJT(オン・ザ・ジョブ・トレイニング)というのであるが、当時はOJTという言葉はなかった。それで、二年八ヶ月が 終わる昭和十年の十二月には大尉に進級する予定になっていた。
ところが、技術科士官だけ、大尉進級が一年早すぎるという計算をした者がいて、猪村達は三年八ヵ月中尉で置かれることになった。
その頃、大学の理工学部は三年で、医学部は四年だったから、同じ年に大学へ入学して海軍軍医中尉になる者は海軍造兵中尉になる者より一年遅れる。そこで、技術科士官を中尉の階級で一年長く足踏みさせておくと同じ年に大学へ入学した者が同じ年に軍医大尉と造兵大尉になってここで足並みが揃う。小学校の同級生で順調に海軍兵学校を卒業した者が大尉になるのは、順調に大学を卒 業した者が軍医大尉になるのと同じ日だから、技術科士官だけ大尉進級を一年遅らせて大尉進級の時点で全体のバランスをとろうと言うのである。 大尉進級を遅らされた猪村達は、「せち辛い世の中になって来たもんだな。誰がこんな細かな計算に気がついたのだろう。今まで何年もやってきて、少しの弊害もなかったのに、もとのままでいいじゃないか」とぶつくさ言ったものだが、長年こうやって来て、何処からも文句の出なかった社会というのは、考えてみると随分おおらかな社会なのだろう。
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