昭和十六年十二月八日、日本が米英に宣戦を布告した
昭和十六年十二月八日、日本が米英に宣戦を布告した日の晩、猪村は逗子の自宅へ帰ってから高熱を出して何日か寝ていた。南洋群島で感染していた天狗熱の発病である。マレー沖海戦のニュースは熱にうなされながら聞いたことを覚えている。
わが海軍はさすが偉いなあと感心したものだが、これは大変なことになったぞ、日本はこれからどうする積もりであろうという不安が頭に重くのし かかる。高熱のためもうろうとした頭で俺ならこうするんだがという詮無いことを考える。
中国との戦争はどう考えても日本側に大義名分の無い戦争であるが、米英に宣戦布告するなら立派な大義名分があると猪村は考える。阿片戦争以来百年間、東亜を侵略した英米の勢力を駆逐するのがこの戦争の目的だと言えばよい。
日本と中国とが手を取りあって東洋諸国の独立と繁栄を計ろうという日本の真意が中国側の一部政権に誤解されて両国の間に紛争が起こり、米英両国はこの紛争を利用し、中国側の一部の政権を支援して「東亜の禍乱を助長し平和の美名にかくれて東洋制覇の非望をたくましゅうせんとす」と言ったらどうだ。
そう言う為には、蒋介石政権との間では停戦から和平交渉に入らねばなるまい。日本と中国とは米英の扇動に乗せられて「兄弟かきに相せめぐの」愚を重ねてきたが、今こそ日本は中国に対しては和平を求め、「蹶然起って」米英両国の東洋制覇の非望を破砕するのだと言ったらどうだろう。
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