レーダー10

レーダー

このレーダーは精密機械というより、田舎で使っている籾摺り(もみすり)機械という感じですね。

この抵抗の他には設計ミスは無かった。サイラトロンというガス入り放電管の寿命の短いのがあったが、これは予備を沢山持たせてやることにした。二台のレーダーとも正常に動作するよ うになったので分解梱包に取りかかる前の一日を選んで横須賀海軍工廠造兵部の高等官連中に新兵器レー ダーなるものをご披露した。

このとき痛烈な批評をした男がいて、その男の言った言葉が猪村の頭に長く残った。その秋村という男は、猪村より三年後輩にあたる造兵大尉で、専門は大砲であったが、

「猪村さん、私はレーダーというものは精密機械だと思っていましたが、このレーダーは精密機械というより、田舎で使っている籾摺り(もみすり)機械という感じですね。このがらがらと大きな音を立てて回っている感じは籾摺り機械そっくりですよ」

と、衆人環視の前で大声でのたもうたものである。猪村は秋村の口の悪いことはよく承知してい たので籾摺り機械と言われても別に驚かなかったが、何かこちらも言い返してやりたいと言葉を捜 したが言い返すべき言葉がなかった。「全くなあ、残念ながら君のいう通りだ。そのうち、精密機械のレーダーを作らせてご披露するからね」

と言うのが精一杯だった。猪村は、いつか精密機械のレーダーを作らせて秋村を感心させてやろうと念願していたが、敗戦の日まで終に精密機械のレーダーは 実現しなかった。そしてこのことが、 日本海軍が惨敗した大きな原因の一つとなった。

近頃では、籾摺り機械も結構精密機械になっているかも知れないので、昭和十七年当時の籾摺り機械を想像して頂きたい。この時のレーダーは小さな木造の小屋の中にレーダーの機械と取扱者が入り、その小屋の上にはアンテナが装備され、その小屋が回転台に乗せられて自由に回転する構造であったが、その回転台の歯車の精度が悪くてがらがら音を立てていた。籾摺り機械とはよく言ったと猪村は内心感心していた。



このレーダー小屋などより遙かに重量の大きな大砲の砲塔は、油圧機械で極めてスムースに自由自在に運動していた時代である。大砲関係の技術者に回転台の設計を依頼すればスマートな装置ができて、秋村の毒舌の対象にならずに済んだかも知れぬ。

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