安達少佐は、昨年も技術科士官講習員の指導官だったという話で、世話のやける連中の扱いはよく心得ていて、海軍の習慣を知らぬ連中に対して懇切丁寧な注意を与えてくれた。たとえば、夜中、浴衣かパジャマのままでスリッパをつっかけて便所へ行く時でも、頭にはちゃんと軍帽をかぶっていなければならぬというような珍妙な恰好は娑婆の生活からは思いもつかぬ事柄なので、誰かに教えてもらわなければ常識で判断してという具合には参らぬのである。
軍服の着方の練習一通り終わり、安達少佐も洋服屋共も去って、通常礼装を第一種軍装に着替え、同期の連中だけがくつろいで一服するときになって、猪村は今日の行事のうちで航空本部長の訓辞だけが何か頭に引っかかる物があったことを思い出した。
他のおえら方は、 「やあ、おめでとう。しっかりやりたまえ」という程度の軽い挨拶っだったのだが、航空本部長だけが奉書に墨書したかなりの長文の訓示を読み上げた。部下が書いた文章を単に読み上げただけだろうが、その中の1つの文句が猪村の気に入らなかった。自分の気に入らぬことはずけずけと批判するのが猪村の悪い癖で、この癖は一生直らず、猪村の周囲の人々に色々と迷惑をかけたが、この時も、くつろいだ雰囲気になると早速しゃべりたくなってうずうずしたものだった。然し、仲間に一人怖そうな男がいたので、しゃべるのを控えた。