少数の人に見学が許され、動作原理が説明された。
次の世代のレーダーであるマイクロ波レーダーが戦場に出てきたのは昭和十八年である。研究開発の開始から実用までは当時の米国の電子技術の全力を挙げても三年かかったことになる。
昭和十六年十月猪村は海軍造兵少佐に進級する。
猪村が日本のレーダーを見たのはこの進級の直後である。海軍が最初の試作品を三浦半島に装備して試験中、少数の人に見学が許され、動作原理が説明された。
昭和十五年頃英国駐在の造兵監督官とドイツ駐在の造兵監督官とから入った情報に基づいて設計したものである。この試作機は猪村の見学中も時々故障したが、試験目標となった航空機は確実に探知することができた。
その次に猪村がレーダーを見るのは昭和十七年二月、日本が占領したウェーキ島とラボールとヘそれぞれ一台のレーダーを装備しろという訓令によって横須賀工廠へ送られてきた二台のレーダーである。
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