カンバスチェアに腰をおろした
古事記の文章を勝手に解釈すると、和平会議に際し須佐之男のみことの言うには、
「自分の心は清く明るく、侵略戦争の陰謀など持っていない。その証拠として、自分の後継者としては平和を愛する女性達を選びたい。そしてその女性達は大神側からいただきたい」
これに対し大神は、
「いいでしょう。そのかわり、須佐之男のみこと側から五人の男子を頂きます。この男子はわたしの後継者として育てます」
という人質交換の条約が成立したのではなかろうか。人質といっても、百済の国から大和朝廷に人質となって来ていた王子のように、人質の待遇は大変良かったのであろう。天照大神側から須佐之男のみことの所へ人質として派遣された三人の姫宮は玄海灘の海上交通を管理する水軍の大将としてこの宗像三神社の位置に根拠地を構えていたのであろう。
玄海灘へ水中聴音機を沈設してそのケーブルを沖の島へ引きあげる工事の当日は海が珍しく静かで、電線敷設船に改装した機帆船の甲板に置いたカンバスチェアに腰をおろした猪村が、
「たきり姫のみことは美人だったろうか。生涯独身で暮らしただろうか」などと、あらぬ妄想にふけっている間に工事は無事終了して、猪村は水垢離を取って島へ上陸し、仮設されていた水中聴音所の建物の中で聴音機の試験を開始した。
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