水中聴音機のネットワーク
昭和十三年になるとソ聯との間が険悪になって、ソ聯の潜水艦の動静を監視するための水中聴音機のネットワークを朝鮮海峡と対馬海峡全域に敷設する作業が始まり、この作業も猪村の担当だった。
この頃になると、猪村より一年後輩の造兵大尉と、実習を繰り上げられた二名の造兵中尉とが佐世保鎮守府付という肩書きで猪村の部下として配属されていたので、現場監督の頭数は揃ってい た。猪村は主として設計のため現地調査を担当し、実際の工事はなるべく他の者に監督させた。
昭和十五年頃には、水中聴音機を敷設するための敷設船が建造されていて、工事には専らこの敷設船が使われたが、猪村が工事を担当したこの時点では小さな機帆船を改造して敷設工事に使った。
鉄骨で造った釣り鐘状の架台に十六個の補音器を取り付けてこれを海中に沈め、各捕音器からの電気信号を一本の多心装鎧ケーブルで陸上の聴音所にある整相器に接続する工事である。
水中を航走する潜水艦のスクリュー音に対して約十五キロメートル位の距離から方向測定が可能である。
二箇所以上の水中聴音機からの方向の交会点によって目標潜水艦の位置を決定することができる。 補音器を装着した釣り鐘状の架台は機帆船に臨時に装備したデリックを使用して海底に沈設し、沈設位置は陸上目標を照準した三角測量で決定する。
沈設が終われば、特別に設計したケーブルガイドを通してキンクさせないように装鎧ケーブルを繰り出しながらながら陸岸まで敷設する。大して面倒な工事でもないが、荒天の場合の作業は危険である。十五キロメートル以上の距盤のある陸岸までケーブルを敷設している途中で天候が急に変わる時もあり、こんな時にどう判断してどう処置するかが、現場監督に課せられた仕事である。
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