一週間の間済州島に滞在した
猪村が上海から佐世保に帰って間もなく日本と中国との間の全面戦争が始まった。日本政府の不拡大方針が何時の間に、どういう理由で変更されたのかも十分に説明されぬ前に戦線はとめどもなく広がっていく様子だった。
「海軍航空隊による渡洋爆撃の壮挙」が日本の新聞にでかでかと報道されたのは、八月中旬のことだったと思う。済州島と台湾の航空基地から出撃した海軍航空隊所属の陸上攻撃機が中国の首都南 京を爆撃したという記事で、猪村のように海軍部内にいる者でさえ、こんなに遠距離の爆撃が可能であるとは知らなかったので、随分驚いて、さすが海軍はやるなあと感心したものである。
「済州島も台湾も佐世保海軍工廠の担当地区で、この両基地に無線電信所を至急仮設しろという調令が出て、これは猪村の担当の仕事だった。大急ぎで資材を集め工事要員と一緒に高雄へは定期便で、済州島へは特別便をチャーターして送り付けたが両基地とも最初の出撃の時は無線電信所は完成していなかった。
「渡洋爆撃の壮挙」という新聞発表があった数日後、佐世保海軍航空隊から済州島へ行く飛行機があったので、猪村はその飛行機に便乗して済州島へ行き、その飛行機が佐世保に帰るまでの一週間の間済州島に滞在した。済州島での猪村の宿舎は小学校の校長さんのお宅にお願いしてあった。
コメント