紙幣などは何時、ただのくず紙になるか分からない
幸いなことに、砲艦の改装工事も予定通り終了し、戦火がまだ上海に波及しない前の昭和十二年七月二十六日、上海発の定期船で猪村は上海を離れることができた。
上海の苦力(クーリー、下層の労働者)は自分の全財産を貨幣の形にして木綿の袋に入れ、腰に ぶら下げて持ち歩いていたものだ。低品位の金属で造られたドンベイという単価の安い貨幣が主だったので、木綿袋は相当重かった。それでも、彼等は政府発行の紙幣を持とうとはしなかったものだ。紙幣などは何時、ただのくず紙になるか分からないと彼等は考えていたものだ。
ところがどうだ。昭和十二年七月の時点ではドンベイを入れた木綿袋をぶら下げて歩いている苦力など一人も見当たらない。みんな紙切れの銭を持っているのである。
英国人のリースロスが蒋介石の依頼によって中国の通貨制度を改革したのは昭和十一年のことだったと思うが、その後中国が外国から随分沢山借金したにかかわらず、中国の紙幣は常に堅調を維持してきた。アメリカのドルに対しては日本の円より常に値段が高い。
そして、昭和十二年の七月では苦力さえ紙幣を持っている。苦力が自国の政府を信用している証拠である。苦力にこれだけ信用されている蒋介石政府は強いだろうなあと思った。
日本の敗戦後、蒋介石政権が中共政権に駆逐されるとは、この時点の猪村には夢想だに出来なかったことである。
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