愚行の行進、ザ・ マーチ・オブ・フォリ
千九百八十四年、バーバラ・タッチマンという有名な女性の歴史学者が著した「愚行の行進、ザ・ マーチ・オブ・フォリ」という本がある。副題は「トロイからベトナムまで」となっていて、古くはトロイ戦争から最近ではベトナム戦争まで、国家が自国の利益に反する愚行を繰り返してきた歴史が述べられている。
この本に日本の支那事変における愚行が書かれていないだろうかと、猪村は期待して読んでみたが残念ながら日本の愚行はこの本には書かれてなかった。
この本では米国に対する日本の開戦を日本の愚行としてとりあげて簡単に説明しているが、その開戦前夜の日本の状態を「支那にいる侵略的な軍隊と日本国内におけるその同調者の長年にわたる圧力によって、日本は実現不可能な大帝国建設の目標に向かって一体に融合されており、そこからの退却はその時点では不可能であった」と書いている。
一つの目標に向かって容易に一体に融合される日本国民の国民性は、多くの場合には国民に有利に作用するが、非常に大きな目標に対するときは、容易に一体に融合される国民性は危険だと思う。
日本は陸海軍を始め官庁の機構が極めてよく出来上がっていて、その膨大な官庁機構が大部分自動的に動作し、大きな方針決定に人間の思考力が要求される場面が少なかったのではなかろうか。誰かが間違ったボタンを押すと、後は黙々として忠実に機構が動作して、あれよあれよという間に軍隊の大動員が完了したのではなかっただろうか。
コンピューターの暴走を防止するときのように、官庁機構の動作を一時停止しておいて人間が考えてみることが必要なのではなかろうか。
人間には利潤追及の本能がある。然し、究極の利益はどういう行動で得られるかという洞察力を持った人間は少ない。「軍人さんを先に立ててその後についていくと儲かりまっせ」 という思想が、満州事変と支那事変を支持した日本国民の心のなかに無かった筈はないと猪村は考える。
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