事態は益々険悪な方向へ急速に進展した
昭和十二年七月というこの時点では、日本と中国との全面衝突を何とかして避けたいものだと努力していた人々が中国側にも日本側にも多かったのだろうと思う。そういう人々の切実な祈りを無造作に踏みにじりながら、何処かで大きな暴力が作用して、事態は益々険悪な方向へ急速に進展した。
このとき作用した暴力が何であったか、猪村はまだその正体を摑んでいない。然し、そのとき作用した暴力は今日もまだ厳然として生きのびていて次の出番を虎視眈眈と狙っているような気がしてならない。この暴力の正体を暴き出してその息の根を止めておかぬと、枕を高くして寝るわけにいかぬと考えている。
小説家の司馬遼太郎は昭和十一年の二・二六事件から昭和二十年の敗戦までの大日本帝国は発狂していたと説明しているが、日本民族がこの時点で何故発狂したかの説明がなされていない。この期間の日本政府の首脳部を見渡した所で、誠実で有能なお役人型の政治家ばかりで、中国の歴史に出てくる漢の高祖や明の太祖のような大悪党に較べると、まるでけたちがいに小粒な善人ばかりである。
こんな小粒の善人共が国共紛争の機に乗じ中国本土を併呑してやろうというような考えを起こしたとは思えない。右翼の狂信者やこれに同調する軍人の中には神国日本こそ世界の統治者となるベき国であると考えた者があったであろうが、こんな思想に大部分の国民が同調する筈はない。
勝者が敗者を裁判して裁判の公正が期せられるかと悪名の高かった極東裁判においても、満州事 変については日本側の陰謀と断定したのに対し、支那事変の発端については中国共産党の策謀に日本陸軍が引っ掛かったものと断定したそうだが、こんな策謀に引っ掛かる日本側に重大な原因があることは確かである。その原因がどこにあるのか猪村には見当もつかない。
この原因を探究することこそ日本の歴史学者に課せられた重大な任務であると思う。この時代を経験した人が死んでしまわない間にできるだけの記録を残しておかねばならぬ。目先の問題で日本の国に都合が悪いという理由で、そっと伏せて置くようなけちな考えでは、後世何時の日にか日本民族が再び発狂し、今度は民族が全滅してしまう非運に遭遇しないとも限らない。現に、大東亜戦争末期には一億玉砕などと臆面もなくとなえていた指導者がいたのだから。
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