支那事変3

支那事変

麦藁帽子が山のように積んであった

然しこの紛争は拡大し、早晚上海にも戦火が波及するだろうと予想していた。日本陸軍は北京を中心にして、満州国のようなかいらい政権を樹立し、全面戦争を避けたい方針かも知らぬが、今度の紛争は中共の謀略であり、その謀略にまんまと乗せられた日本陸軍が中共の書いた筋書通りに踊っているので全面戦争はどうにも避けられない、日本の陸軍というのはなんという間抜けなんだろうというのが、中国側から艦長達が得ている情報である。

ある砲艦の艦長の友人に中国側の陸軍少佐(当時の中国の階級名では陸軍少校)がいた。その艦長は数日前、南京郊外の飛行場へその陸軍少校を見送りに行った。飛行場は軍用飛行場と民間用飛行場を兼ねていた。陸軍少校は少し寄り道をして、飛行場の倉庫を艦長に見せた。麦藁帽子が山のように積んであった。

「この帽子は成都(四川省の省都)に送るものです。昔は船で揚子江を遡って重慶まで送り、そこから馬に積んで成都まで送るので一月以上かかったものですが、今ではその日のうちに成都につきます」



昭和十二年のこの頃、麦藁帽子を空輸するのは中国における民間航空の先進性の証拠になるので、陸軍少校がわざわざ案内したのかと思っていたが、その陸軍少校の言いたいことは別にあった。

「中国も随分狭くなったでしょう。近ごろはラジオが普及しましたから、蒋介石総統の指令は直ちに中国全土に徹底するんです。日本政府はこの変化に気がつかず、中国はまだ全国統一ができてなくて、地方政権の集合体のように考えています」 陸軍少校の話は段々熱を帯びてきて、彼が乗る飛行機が出発するまで三十分位の間繰り返して話し続けた。

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