支那事変1

支那事変

自動車で送迎されることになった

こういう危機をどう切り抜けるか、何の方策も持たぬまま猪村はただぼんやりしていたが、幸いに造船所の方はサボタージュもストライキも起こらず最後の砲艦の改造工事はほぼ予定通り進行して行った。佐世保海軍工廠造船部からこの工事の総監督として上海に出張していた造船少佐の適切な処理によるものだったであろう。

然し、上海市内の情勢は段々険悪になり、市内の旅館に泊まっていた猪村は上海特別陸戦隊の中で起居することを命ぜられ、造船所との間は、水兵さんが運転し、助手席には武装した水兵さんを乗せた自動車で送迎されることになった。

いままでは、造船所へは背広服で出勤していたが、陸戦隊から出勤するとなると軍服を着ていなければならず、白麻の軍服は二着しか持って来てなかったので、洗濯が忙しかった。



造船所の従業員が読んでいた中国の新聞を買って読んでみると、中国語を知らぬ猪村にも書かれている漢字の大部分が日本語と共通なため、記事の大体の意味はよく分かった。日本から送ってくる新聞と読み較べてみると中々面白かった。そして、猪村の受けた印象では日本の新聞が日本陸軍におもねる記事ばかり書いているのに反し、中国の新聞は比較的正確な事実を伝えているように思えた。

日本政府は常に不拡大の方針を唱えていて、しかも紛争は日ごとに拡大していた。中国の新聞には日本陸軍の大規模な動員が詳細に報ぜられていた。後からの事実に照らしてみると、日本陸大規模動員は事実のようである。この時点では、猪村は中国の新聞記事を信用して、日本陸軍の大規模動員があったものと考えていた。

報道管制のため、日本の新聞にはこの大規模動員を報道する自由はなかったのであろう。それはそれとして、日本政府が不拡大を唱えている時点で、この政府の方針に反してそれが上官の命令によるものであるとは言え現地で戦闘をした青年陸軍将校の勇敢さを賞賛するような記事を日本の新聞が何故書かねばならんのだ。このおべっか使い共がと猪村は憤慨した。

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