イギリス、アメリカ、フラ ンス、日本などの砲艦が揚子江に沿った主な都市の港にいた
昭和十二年の四月頃から上海の造船所で砲艦の改造工事が行われていた。
当時、世界の列強といわれていた各国は中国と条約を結んで中国の領土である揚子江に自国の砲艦を航行させる権利を持っていた。揚子江の沿岸に住む自国の居留民の保護がその目的である。イギリス、アメリカ、フラ ンス、日本などの砲艦が揚子江に沿った主な都市の港にいた。
砲艦は河川を航行するので船足が浅く設計されており、東支那海を航海して佐世保軍港まで回航するのは危険なため、イギリス人の経営する上海の造船所で改造することになった。
改造工事の主要な部分に無線関係の工事があった。他の軍艦は全部短波通信を主として無線通信を行っているのに、揚子江の砲艦だけは改造の機会がなくて未だに長波の無線機しか持っておらず、通信系統の構成が不便なため、この際改造しようというのである。
それに関連して長波送信のための高い無線アンテナマストを撤去し、船の重心位置を低くして、外洋航行の性能を向上するのも改装工事の目的の一つである。
国内でやるとすれば大した工事でもないが、外国でやる工事でもあり、工事契約は英文で行われており造船所のイギリス人技師への交渉には英語を使わねばならぬので、工事監督には無線関係からも高等官を出してくれということで、猪村の代わりに深沢造兵中尉が上海へ出張していた。
六月になって深沢造兵中尉は第二回の乗艦実習のため聯合艦隊指令部付に転勤し、六月下旬から猪村自身が上海に出張した。
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