馬占山将軍
満州出張中、猪村は仕事はしなかったが教えられることは多かった。
浜村工手は現地の労働力を上手に利用した。猪村は臨時現金出納官の資格を貰ってきておらず、下請けに対する現金の支払いは出来なかったので、浜村は中国人のブローカを介してまわりくどい手続きで中国人の労働者を雇った。その中国人の労働者達が実に勤勉で一旦約束したことは必ずその約束通りに実行する事に猪村は驚いた。
ハルビンの料理屋のおかみから聞いた馬占山将軍の評判も猪村には驚きだった。何の用事でハルビンの料理屋へ行ったのか、その夜の連れの客はどういう種類の人だったかも忘れてしまった。万物皆氷りつく厳寒の夜で、馬車に乗って料理屋へ行ったが、馬の蹄が舗道を蹴るたびに火花が散ったことだけを憶えている。
馬占山は満州国の陸軍大臣に予定されていた人であったが、日本陸軍との間で条件の折れ合がつかず日本に対する反乱軍の首領になった。日本の新聞では討伐の対象となる匪賊として説明されていたが、ここのおかみの評判は大変良かった。
日本軍と別れる決心を固めた馬占山が最後に夕食に来たのはこの料理屋である。そして身の危険を感じた彼は真夜中にこの裏口を出てハルビンを脱出した。
馬さんのような立派な人が敵にまわるようじゃ満州国の前途も心配だというのが、そのおかみの話で、日本人のおかみからこういう話を聞くのは猪村にとって意外であった。
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