古き良き日5

古き良き日

レスというのは海軍用語で料理屋のことである

これは昭和十四年頃那須さんから聞いた話である。

その頃那須造兵少将は呉工廠の電気部長になって呉へ単身赴任し、呉水交社に下宿していた。猪村は横須賀工廠の造兵部にいて仕事の連絡のためよく呉工廠へ出張した。夕食の時、水交社の食堂で那須さんに会うと、那須さんは自分の部へ猪村を呼んで色々話をしてくれた。

那須、清田の漫才コンビは清田さんが艦政本部へ転勤以来久しく途絶えていた。那須さんは漫才ばかりでなく座談も上手で、猪村は那須さんの話を聞くのを楽しみにしていた。ある晩おそく水交社の那須さんに守口造兵大尉から電話がかかってきた。料理屋からの電話である。

「ただ今、元気のいい中尉どもを集めて時局に関する討論をやっております。丁度いい機会と思いますので部長においでいただいて若い者に訓辞していただきたいのですが」

「訓辞はともかく、レスの勘定はおれにまわそうという魂胆だろう」レスというのは海軍用語で料理屋のことである。

「ご明察の通りであります」という次第で那須部長はそのレスへ出掛けた。部長が来てみると守口は中尉共を円座に集めて彼自身の訓辞を垂れている最中である。部長は静かに守口の後ろへ立つ。守口は部長の来たのに気が付かない。勝手に気炎を上げている。



「大体きさまたちは、ごますりの相手を見誤っている。部長の言うことならなんでもよく聞くくせに、おれの言うことは馬鹿にして一向聞こうとしない。然し、考えてもみろ、部長は五六年後には造兵中将で現役を去る。それに較べてこのおれは造兵大佐で首になるにしても今後少なくとも二十年はある。五年が大切か二十年が大切か、考えて見ればすぐわかる筈だ。今後は心掛けを改めてごまをするなら俺に対してごまをすれ」

という訓辞だそうである。 この話を猪村に話して聞かせたときの那須さんはいかにも嬉しそうな顔をして、守口が可愛くてたまらぬといった話ぶりであった。冗談にしろあんなことを言っておいて、相手に可愛く思われるとは守口も中々人徳がある男だなあと猪村は自分より後輩の守口がいささかうらやましかった。

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