「ノットドリル、ノットドリル(演習ではない、演習ではない)」
昭和十六年十二月七日、真珠湾に日本海軍の空襲を受けた米国側は、この緊急事態を一般に通知するためあらゆる通信機関を動員したであろうと思うが、その中に「エヤーレード、エヤーレード(空襲、空襲)」、「オン、オン、パールハーバー、パールハーバー(真珠湾上空、真珠湾上空)」、「ノットドリル、ノットドリル(演習ではない、演習ではない)」という放送があった。この放送は 当然日本軍でも聞き取れた。
昭和十七年正月、当時横須賀海軍工廠に勤務していた猪村の所へ呉海軍工廠の若い造兵大尉が打合せに来たことがある。その造兵大尉は真珠湾攻撃から帰って呉軍港に入港した通信関係の士官からこの「エヤーレード、エヤーレード……」という放送の話を聞いたのであろう、その放送の話を 面白そうに猪村に聞かせた上で、
「敵さんも余程慌てたと見えまして、そんな通信を平文の電話でやってたそうです」と付け加えたので、いささか猪村の癇にさわった。
「然し、君ねえ、そんな時に暗号を使う必要はないだろう」とここまでで止めておけばよかったのだが、もう一言、
「君は無線が専門だろう。秘密にする必要のある通信とそうでない通信との区別くらい考えて見たらどうだ。軍事関係の事項ならなんでもかんでも秘密にしたがり、なんでもかんでも暗号電報にしたがる習慣は、軍用通信学という学問から見て、まことに馬鹿馬鹿しい習慣だとオレは思うがなあ」 と付け加えた。相手はポカンとして猪村の顔を見つめていた。
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