信用のできるデータを持っていない
猪村の構想では、どの軍艦も送信担当艦にも受信担当艦にもなれるような装備をしておいて、旗艦になって通信量の多い軍艦が受信担当艦としてどれか他の軍艦を送信担当艦に指定し、受信担当艦から超短波送信機を使用して送信担当艦の短波送信機を動作させるというシステムである。猪村はこのシステムについての詳細な設計をしておこうと思った。このシステムを設計するには、本当の戦争になって無線封止が実行されている状況下で聯合艦隊の旗艦から送信する電報量はどの位あるかというデータが先ず必要になる。
ところが、こういう基本データは意外にも甚だ曖昧で、誰に聞いても信用のできるデータを持っていない。どの位の通信量か分からないが、相当多い通信量を処理できる設備人員を持っていなければならないという意見が多数意見である。そして、軍艦の通信演習を見ていると、随分多量の暗号電報を送信している。そのため、同時送受信の問題が起こっているが、猪村の常識では、実際の戦争のときにこれ程多量の短波送信の必要は考えられない。猪村は反省した。
「谷口造兵大佐が言っておられたように、これはやはり軍用通信学という学門体系を確立して、どんな通信をどう実施するかという基本問題をまず決めておいて、そのデータに基づいてシステム設計をしないと、眼前の現象だけから研究実験に着手したのでは、とんでもない誤りをしでかすことになる。それにしても、基本データを早く決定する必要があるが、どこで誰がこんな問題に取り組んでいるのだろう。どうせ初めから信頼するデータが得られる筈はないが、一応決めておいて演習の積みかさねによって段々修正してゆけばよいのだ。軍用通信学という学問体系は面白そうだが、これは通信参謀が研究すべき問題であって、猪村が取り上げるべき問題ではない。基本データがないためシステム設計が出来そうもない同時送受信の問題はやめにしよう。そして、この実習が終わって技術研究所へ着任したら、前に技術研究所で実習していた給電線と整合器の問題を取り上げよう」と考えた。
給電線の問題にしても色々の研究問題がある。短波の給電線には兵隊さんが楽に整合器の調整ができるように調整の目安になる指示計器を考えてやらねばならぬ。超短波の給電線は平行二線式の不細工な給電線を使っているが、これを同軸円管式に変えねばならぬ。受信アンテナに対しても当然給電線を使って雑音をピックアップしないようにしなければならぬ。方位測定室をあんなに上部 におくと軍艦の重心点が高くなるので、ループアンテナだけ上部において、下部の測定室からループアンテナを遠隔制御し、ループアンナから受信機までは給電線で接続せねばならぬ。