捕音器の位置を変更すると音波の方向はよくわかるようになった
多分、そういう説明はあったのだろうが、猪村は完全に聞き落としていた。とにかく、艦政本部の指示図通り装備変えということになって猪村の面目はまるつぶれである。装備変えの為には潜水艦をもう一度ドックに入れなければならぬ。忙しい予定のつまっている公試運転の最中にドック入りをさせるのだから、関係各部へ頭を下げて回って予定をやり繰りして貰わねばならぬ。猪村は顔から火のでる思いをして関係各部へ頼んで回ったものだが、新兵器の最初の工事だということで関係各部も割合簡単に理解してくれた。捕音器の位置を変更すると音波の方向はよくわかるようになった。しかし、捕音器を装備していた元の位置には盲蓋を貼ってあるので、この潜水艦の船腹の傷跡は潜水艦の一生残るのだと思うと猪村は心が重かった。
幸か不幸か、一つの失敗を頭にとどめておく暇がない程猪村の仕事は多忙だった。呉工廠での無線の仕事は軍艦への無線電信機の装備工事が主な仕事であったが、その当時問題になったのは陸上の仕事であった。
短波無線方位測定機は戦争中敵の軍艦や商船が出した電波の方向を測定して、その船の所在地点を決定する為に用いられた。互いに十分距離の離れた地点にある数台の方位測定機で同じ電波を同時に測定すると、球面三角法の計算によって、その電波を出した船の地球上の緯度、経度を決定することが出来る。戦時中の日本海軍はこの短波方位測定機を千島、樺太の果てから日本列島の各地、沖縄、台湾及び当時日本が委任統治をしていた内南洋群島の各地に総計数十台装備して、敵の艦船 の電波を一斉に測定しその所在地点を決定していた。この兵器は国際電電の南波という技師が国際電電で使う為に設計製造した機械をそのまま昭和九年頃海軍の制式兵器として採用したもので、海軍の兵器としては珍しい生立ちのものだった。