猪村政哉の祖父は政哉が7歳の年に死んだ。初孫の政哉がよほど可愛かったものか、祖父は政哉にいろいろ面白い話をして聞かせた。政哉の記憶に今でも残っているのは狸の話である。
祖父の狸は人間を化かす神通力を持っている狸である。したがって祖父の話の狸は動物学上の狸とは大分違っているのであるが、猪村はいまだに祖父の話の狸と動物学上の狸とを一緒にして考えている。
近隣の狸は2つの勢力圏に属していた。おくす狸とおさん狸がそれぞれのけん族の長であり、2匹とも牝狸であった。2つの勢力圏の狸が互いに争う話もあったが、多くの場合、人間共の侵略に抗して立ち上がった狸族の闘争の物語である。いろいろな動物の中で、狸が一番臆病で、専守防衛主義を堅持している。狸寝入りという言葉があるが、あれは、臆病な狸がびっくり仰天して仮死状態に陥っている姿だそうである。
「昔は月夜の晩など、庭の築山へ狸どもが提灯をつけて遊びに来たもんじゃがのう」
日毎にその勢力圏が縮められていく狸族のために祖父はこう言って悲しんだものだった。狸はその両眼を月光に当てて、提灯を持った人間に化ける。
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