面白いアクション ドラマを実演
昭和九年の秋には海軍の特別大演習があった。何の仕事も持たぬ一等船客の猪村は、この演習の 面白い景観を表現することなど到底できないが、猪村の一生を通じてこんな面白い見せ物をみたことがない。映画やテレビのアクション ドラマのスペクタクルなど、この時の演習の景観には比べものにもならない。誠に申し訳のない話であるが、日本という国は随分大きな費用をかけて面白いアクション ドラマを実演して猪村を楽しませてくれたものだと思っている。
一番面白かったのは、駆逐艦の夜襲である。大砲の方は演習のときに実弾を発砲するわけにはいかぬ。どんな態勢で射撃したから、命中の確率は何パーセントであると決定され、何パーセントの命中率なら、今の弾は当たったかどうか、それは審判官がさいころを振って、そのとき出た目で決める。然し魚雷は実際の魚雷を発射する。深度を深く調定してあって、魚雷は軍艦の艦底をくぐって通過し航続距離一杯走った所で海面に浮き上がっているのを演習が終わった後で拾い集めればよい。魚雷が誤って何かに衝突しても、炸薬が入れてないから事故にはならない。演習時の魚雷は空 監気の泡を吹き出しながら走るので魚雷が走った跡の航跡ははっきり見え、魚雷が命中したかどうかははっきり判る。 狼やハイエナが大きな獲物を狙う時は群れを作って挟み打ちをするが、駆逐艦は二隻か三隻で一つの駆逐隊を作り、駆逐隊が何隊か集まって一つの水雷戦隊を構成し、この水雷戦隊の各駆逐艦がそれぞれ手分けして餓狼の群れのように獲物に襲いかかるのである。昼間の海戦も面白いが、夜間の海戦はもっと面白い。飛行機から照明弾を投下して砲撃目標を照明する。探照灯の光ぼうが敵の駆逐艦の上で交差する。わが艦に向かって来る魚雷の航跡が何本か走っている。演習だという安心感から猪村は専ら景観の美しさとその変化の面白さを堪能していたのである。