コーペルとは娘の意味
艦長が興味をもっている様子なので、猪村は更に高等学校の生活とか大学の生活とかについてよもやまの話をしてガン ルームへ帰ってくると、主計少尉が待ってましたとばかり、
「艦長とのお話はどこまで進みました」
「どこまでって、艦長は自分の息子が高等学校を受験するのに、田舎の高等学校でもいいかと聞くので、高等学校ならどこでもいいですと教えてあげたのです」
「なんだ、艦長のコーペルの話じゃないのですか」
「艦長にコーペルがあるの」
「随分な美人だそうですよ。造兵中尉が艦長に呼ばれたんで、艦長は自分のコーペルを造兵中尉のお嫁さんにどうかと写真をみせたんだろうとガンルーム中で話していたんですが」
「御期待に沿えなくてどうも」と猪村は笑ったが、主計少尉はまだ信用しないぞという顔をしていた。コーペルとは娘の意味になるが、娘は英語でドウタと言い、これは銅と似た発音で、銅はまた英語でコッパと言うが、昔、海軍工廠ではコッパをなまってコーペルと言っていたことからきているややこしい造語である。
軍艦が動いていない時は艦長は全く暇そうに見えるが、一旦軍艦が動きだして演習でもしようものなら艦長はたちまち多忙になる。艦長はそれぞれの配置には信頼出来る部下を持っているが、彼等は艦長の命令を忠実に実行するだけで、艦長のなすべき仕事である決断作業に対して艦長を補佐し援助することは出来ない。時間的にそんな余裕はない。
敵の魚雷の航跡を発見した見張り員が大声で報告する。艦長は自分の眼でその航跡を確認して直ちに回避の操舵を命令する。そんな仕事は航海長にやらせればいいではないかと思うが、そうはいかぬらしい。敵の魚雷が走って来るような状況では、わが艦も大砲の射撃中であるか、射撃中でなくてもその機会を狙っている。射撃の指揮は艦長の命令で砲術長がやっており、大砲の側の状況は
航海長の頭の中に入っていない。大砲側の状況を考慮しないで回避運動されたのでは、砲術長の方 で困るので、軍艦全体の状況が頭の中に入っている艦長が決定せねばならぬのだろう。艦長が傍らにいる航海長に相談して操舵角度を決定する程の時間の余裕はない。 例えて見れば軍艦という武器は一本の日本刀と同じく一つにまとまった武器であるから、一本の大きな日本刀を二人で使うと言う剣術がないのと同様、軍艦という武器は艦長一人で動かさねばならぬのだろう。軍艦という武器が一本の日本刀に比べて桁違いに複雑な所に艦長の苦労がある。