副長の仕事2

副長の仕事

軍艦の舷側を流れる潮の流れは早い

ガンルームの兵科将校にはボートのチャージという仕事がある。艇指揮とでも訳すべき言葉である。エンジン付きのボートが軍艦と陸上との間及び軍艦と軍艦との間の交通機関として用いられていた。ボートにはその大きさに従って色々な名前(英語の名前)がついていたが、往年の一等船客はそんな名前をすっかり忘れてしまった。ただ、ある程度大きなボートには操舵員と機関員とがそれぞれ配属され、その指揮としてチャージが乗る。チャージの仕事はガンルームの兵科将校が交代で勤める。高速魚雷艇の艇長として戦闘するときの基本訓練となるからであろう。

このチャージの仕事というのが仲々熟練を要する仕事である。軍艦の舷側を流れる潮の流れは早い。少し海が荒れると軍艦の揺れとボートの揺れが重なり合って、ボートのすぐ前のタラップが遥か上に見上げるような位置になったり、ずっと下に降りてきたりしている。そのタラップにびたりとボートを横付けしなければならぬ。自動車のようにゆっくりブレーキを踏むというわけにはゆかぬ。

勘の悪い、未熟な少尉候補生などがチャージを勤めると、ボートはタラップを行き過ぎたりまた後戻りして戻り過ぎたり、斜めの角度でタラップに突き当たりそうになったり、いやはや散々のていたらくである。

昔、ある戦艦の副長は少しばかり口やかましすぎた。彼は運用術の専門家だったので、その眼から見るとチャージ共の操艇がまるで拙劣である。少し教えてやらねばと思って、ボートが帰って来る時刻になると後甲板に出てチャージの操艇を監視している。監視しているだけならよいが、そのうちメガホンを持って甲板の上からチャージに指示を与えるようになる。「ああ、そこでとり舵一杯だ。ああ舵がきき過ぎたぞ、ぼやぼやしてないで早く戻せをかけんか」 「後進原速だ。こら、いつまで後進をかけとるんだ。停止、停止、早く停止せんか」

チャージ連中は閉口したが、何分にも相手がコンマでは怒鳴り返すわけにもゆかず、黙ってがまんしていた。がまんはしていたが、コンマは益々口うるさくなるので、この事がある日ガンルームの話題になって、他艦からお客がきたような時みっともないからコンマに忠告して置くべきだという事になった。猫の首に鈴をつけに行くのはケプガン自身か ケプガンの指名した者だが、この時のケプ ガンは「俺にまかせてくれ」と言って簡単に引き受けた。

少し荒天候の日で、副長が必ず後甲板に出てくる時間のチャージに当番の少尉が出て行こうとすると、ケプガンが、「今度のチャージは都合で俺が代わる」と言って短剣を吊り、双眼鏡と呼子の笛を首にかけてチャ ージに出掛けた。チャージは操艇の未熟な候補生とか少尉とかが練習のために順番に出てゆくので、操艇に練達した航海士の中尉が、しかもケプガンでありながら自身でチャージに出て行くからには、余程大切なお客があるのだろうとガンルームの連中は思っていた。「その定期便では船から陸上へ出掛ける士官はいなかったので、チャージとなったケプガンは予定通り陸上の桟橋まで公用使を送り、予定の時間に帰艦した。軍艦のタラップに近くなって、コンマが後甲板に出ているのを認めたチャージはボートのエンジンを早くから停止した後、何の号令もか けず、ただぼんやり後甲板の副長の顔を見上げていた。今度のチャージは誰だろうと見下ろした副長は、

「何だ、航海士か」といささかがっかりした。

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